第37話「二人の弟子」

 

 魔大戦。かつてモンスターと人間の間で起こったこの戦争は、剣神リョウを含めた三賢者が魔界の扉を封じたことにより人間の勝利で幕を閉じることになる。その約二年前、まだ、剣神リョウが他の三賢者と出会う前、彼は世界各地でモンスターの討伐を行っていた。

 穏やかな日差しが差し込む森の中、リョウは小さな切り株に腰を下ろして身体を休めていた。この森に入ってから、既に二日が過ぎている。どこまで行っても同じような景色が続く大森林を、方位磁石を片手に夜通し歩き続けていたのだが、出口は一向に見えてこない。自分としてはそのことに若干の不安を抱かざるを得ないのだが、自分の師であり、切り株に腰かけながら穏やかな寝息を立てるリョウはそのような不安とは無縁のようであった。

 出口に向かっているという確信があるのか、あるいは単に楽観的なだけなのか。まだ彼の弟子となって日が浅いレオンには、どちらとも判別がつかなかった。

 だが、既にここで休憩をとって半日近くが過ぎている。どちらにしろ、そろそろ出発しなくてはならないだろう。

「師匠」

 リョウに背後から近づいたレオンが声をかける。

「何だい?」

 先程まで安らかな寝息をたてて熟睡していたというのに、リョウはすぐに答えを返してきた。寝ていても周囲の気配には敏感に反応している辺りは、さすがと感じてしまう。

「そろそろ、出発した方がいいのでは? 暗くなってくると方角がますますわかりづらくなります」

「そうだね。じゃあ、出発しようか」

 呑気な声でそう言うと、リョウは切り株から腰を上げ、大きく伸びをする。ひとたび戦闘になれば無類の強さを発揮し、突き刺すような鋭い雰囲気で相手を威圧する彼からは、こういう普段の緩い雰囲気は想像しがたい。実際、レオンも当初はかなりの戸惑いを覚えたものだったが、最近ではこの雰囲気にも慣れてきた。

「じゃあ、ローも呼んで来てくれる?」

 レオンの方に振り返って、リョウが言う。伸びと同時に欠伸をしたのか、目の端には涙の粒がたまっていた。それを服の袖でごしごしとぬぐい、また大きく欠伸をする。

(なんだかなぁ……)

 こういう呑気な雰囲気は、どうも自分には似合わない。自分はこの人の弟子で大丈夫なのだろうか、という一抹の不安を覚えなくもないが、慣れるしかないよな、と一人自分を納得させる。

「わかりました」

レオンはそう答えると、踵を返して歩き出した。

レオンとリョウのいた場所から五分も歩いたところには、小さな湖があった。春の日差しを湖面が反射し、きらきらと柔らかい光が湖全体を覆っている。この辺りには人もモンスターも寄り付かないので、水の純度は高く、湖の中を泳ぐ魚までも肉眼で捉える事が出来た。鳥たちの水場ともなっているようで、湖畔には様々な種類の鳥がくちばしで水面を叩き、小さな波紋を作り出している。そんな鳥たちの群れの中に、レオンは目的の人物の姿を見つけた。

「ロー!」

 その呼びかけに応じて、その人物はこちらに振り返った。

 栗色の髪が小さく左右に揺れ、優しげな瞳がこちらを視界にとらえる。レオンは親友であり、そしてライバルでもある彼のもとに歩み寄った。

「そろそろ出発するってさ」

「うん、わかった」

 ローウェルはそう答えると、手に持っていた残りのパンを小さくちぎって、足元の小鳥たちに分け与える。小鳥たちが我先にとパン屑をつつき始めるのを見て、彼は柔和な笑みを浮かべた。

 ローウェルは剣神リョウの一番弟子であり、レオンより一年以上前からリョウのもとで剣術を学んでいる。年齢はレオンと同じだが、そういう意味では自分よりも先輩にあたる人物だった。

「この森はきれいだね。自然も多いし、動物達もおとなしい」

「まぁ、モンスター達もここまでは来てないみたいだしな。でも、ここにいる動物達も、どこかの森から追われてきたのかもしれない」

「そうだね……」

 レオンの言葉に、ローウェルの声が沈む。それを聞いて、レオンは小さくため息をついた。

「ロー、モンスターは敵だ。倒さなきゃいけない敵なんだぜ?」

 もう何度目か分からない言葉を、レオンは繰り返す。

「わかっているよ。でも、モンスターだって生きている。彼らだって、生きるのに必死なんだ」

 ローウェルも、何度目かわからない答えを返した。

足元にいた小鳥たちが、パン屑をあらかた食いつくして次々と散っていく。ローウェルの足元に残っているのは、競争に敗れて残ったわずかなパン屑を突いている一匹だけだった。

ローウェルの剣技は、レオンよりも上だった。悔しいが、これは認めざるを得ない。リョウの弟子になってから、レオンは組み手で一度たりともローウェルに勝ったことがないのだ。リョウの弟子になった時間に一年以上開きがあるのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが、それでも悔しいものは悔しい。おまけに、ローウェルには常人にはない才能が備わっている。レオンにはない才能だ。その部分でもどうしても差が出てしまい、その差は努力では埋めようがない。どのように解釈しても、レオンはローウェルに劣っている。これは明白だった。

だが、こと実戦においては、レオンはローウェルよりも多大な成果を上げていた。別にローウェルが本番に弱いわけでも、レオンが本番に強いわけでもない。原因は、わかりきっていた。

ローウェルは、優しすぎるのだ。

その優しさは、人間だけでなく動物、さらにはモンスターにまで平等に及んでしまう。そのためローウェルは、人間はもちろんのこと、モンスターですら殺すことに戸惑いを覚えてしまう。それは、人間として間違った姿勢とはいえなかったかもしれないが、戦士としては致命的な弱点と言わざるを得なかった。

「さぁ、行こうか」

 最後の小鳥が足元から離れていくのを見送ってから、ローウェルはそう言って歩き出した。レオンもすぐにその後に続く。

 レオンにとってローウェルはライバルであったが、それと同時にかけがえのない友でもあった。リョウの弟子となってから幾度となく戦いを共にし、背中を預けてきたのだ。

 だからこそ、ローウェルに弱点を克服して欲しいと思った。その弱点を克服すれば自分より確実に上の戦士となってしまうであろうことはわかっていたが、それでもそう思っていた。その気持ちは、今でも間違っていなかったと思う。

 だが、その気持ちが二人の道を分けることになるとは、この時のレオンには知る由もなかった。

 

 

 それから一週間が過ぎた。森を抜けたレオン達は、その先でモンスターに襲撃を受けた村を発見し、住民の避難とモンスターの掃討を行っていた。

「はぁぁぁぁ!!」

 背中に二枚の翼を生やしたガーゴイルが、鋭い爪でローウェルの頭上から襲いかかる。ローウェルはその一撃を半歩身を引いてかわすと、剣を振り上げて片方の翼を切り裂いた。

 翼を片方失い、バランスを崩したガーゴイルが地面に落下する。それでも、こちらに攻撃を加えようと短い脚を伸ばしてきた。返す刀でその脚をも切り裂き、ローウェルは跳躍すると剣を斜めに振り下ろした。ローウェルの剣が、ガーゴイルの胴体を斜めに切りつける。紫色の体液を吹きこぼしながらガーゴイルの身体が仰向けに倒れ、短い痙攣の後、絶命した。

「村の西側の方はまだ安全です! 走って!」

 背後にいた住民と思しき女性に向かって叫ぶ。女性は短く礼を言うと、ローウェルの指示通り西の方へ走って行った。

 その背中を見送ってから、ローウェルはたった今自分が殺したガーゴイルに視線を移した。傷口からはいまだ体液が流れ続けている。既に絶命しているはずだが、その表情はどことなく苦悶に歪んでいるように見えた。

「……向かってこなければ、殺さなかったのに」

 死体から目を背け、ぽつりと言葉を漏らす。自己防衛のためだから仕方ない。理性はそう言って自分を納得させようとしているが、本能はそうは言っていない。

 このモンスターの命を奪う権利が、自分にあるのか。このモンスターにも仲間や家族がいるかもしれないのに。その命を奪う権利が、誰にある?

 戦いの中で何百何千回と繰り返してきた疑問が、頭の中で反芻する。考えても答えは出ないというのに、本能はいつもその答えを求めている。

 いつかこの戦いの中で、答えは見つかるのだろうか。

「ロー、大丈夫か?」

 背後からかかった声に振り返ると、レオンがこちらに向かって歩みよって来るところだった。

「ああ。そっちこそ大丈夫?」

「俺はなんともない。住民の避難もほとんど終わったみたいだな」

 レオンが周囲を見渡しながら言う。確かに、人の気配はもうなさそうだった。

「そうだね。じゃあ……」

 そこまで言った時、ローウェルは視界の端に複数のモンスターの姿を捉えた。村の周囲を囲む森の中で、こちらの様子を窺っている。形勢が不利、ということは判断できているのか、村に踏み込むのを躊躇しているようだった。

(こっちに来るな……)

 そう念じながら、鋭い目つきでモンスターを威嚇する。その威嚇が通じたのか、モンスター達はじりじりと森の奥へ後退し始めた。思わず、ほっとため息を漏らす。

 だが、

「まだ残ってやがったか」

 そう言うと同時に、レオンが駆け出した。

「!? レオン!」

 慌ててローウェルもその後を追う。レオンの標的は、先ほどローウェルの発見したモンスター達だった。

 追って来るレオンに気づいたモンスター達が、方向転換してレオンを迎え撃つ。レオンは地を這うよう身を低くして先頭にいたモンスターの一撃をかわすと、その足を剣でなぎ払った。足の支えを失ったモンスターの頭に剣を突き刺し、確実にその命を絶つ。その死体を足掛かりにして跳躍し、レオンはさらに次のモンスターに襲いかかった。空中で大上段に剣を振り上げ、力任せに振り下ろす。モンスターはとっさに腕でその一撃を防ごうとしたが、落下の勢いも加わったレオンの剣はその程度では防ぎきれない。レオンの剣はモンスターの腕を切断し、そのまま頭からその身体を真っ二つに両断した。

 着地と同時にバランスを整えたレオンは、最後の一匹に照準を合わせた。抉るように地面を蹴り、あっと言う間にモンスターと距離を縮める。そのスピードに、モンスターは全く反応できていなかった。

 だが、ガキィィィン、という鈍い金属音に、その一撃は遮られる。

「ロー!?」

 レオンの剣は、ローウェルの剣に正面から受け止められていた。その隙に、モンスターは森の奥へと逃げ去って行く。

「どういうつもりだ、ロー!?」

 剣を一度下ろし、レオンが非難の声を上げる。

「彼らには交戦の意思はなかった!」

 その声に劣らぬ大声で、ローウェルが叫び返した。

「交戦の意思? モンスターにそんなものがあるかよ!」

「何故ないと言える!? 君は無抵抗な相手まで殺すのか!?」

「ここで殺しておかなきゃ、いずれまた誰かを襲う!」

「いずれ? なら、君はたとえ相手が幼体だったとしても、いずれは人間を襲うからという理由で殺すのか!? 人間の赤ん坊でも同じか!?」

「そこまでは言ってねぇだろ!」

「同じことだ!」

 二人が敵意をむき出しにして睨み合う。互いに、剣を握る手に力がこもった。

「そこまでだ」

 そんな時、ぬっと二人の間に剣が割り込んだ。

「言い争いなら後にしろ。まだ、住民の安全は確実ではない」

 いつの間にか二人のすぐ傍までやって来ていたリョウが、二人を目で牽制する。レオンとローウェルは未だ納得いかない様子だったが、とりあえず互いに剣を鞘に収めた。

「レオン、君は確かに強い。でも……」

 そう言って、ローウェルはレオンに背を向けた。

「君は、間違っている」

 逃げ遅れた人がいないか確認します、とリョウに告げ、ローウェルが村の方へと戻って行く。

「ロー……」

 小さくなっていくその背中を、レオンとリョウは静かに見送った。

 

第37話 終